みんなモルックやってるか?
唐突すぎますよ(笑)
まあモルック流の挨拶みたいなもんや(笑)
ならもう少し一般的な聞き方に変えるわ!『意識』してスポーツに取り組んでるか?
その競技でうまくなりたい人はどうやったらうまくなるかとか意識しながらやるもんじゃないですか?
その通り!本来意識ってのはするしないであってその人の頭の中にその意識が存在しているかどうかが重要なんや。
だから意識してない=無意識といって頭の中に意識が存在していないこと(まさに意識が無い状態)を指すんやな!
つまりこの認識がずれているのではないかという内容をこれから解説していくのですね?
その通り!その一例として『意識高い系』という言葉があるから解説していくで。
みなさんは『意識高い系』という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?そしてこう思ったことはありませんか?
『どういう意味なの?』って。私もそう思います。Wikipediaとかで検索するとけっこう酷く書かれてますね(笑)
辞書で調べても俗称なので完全に解釈の世界になっちゃいますね。つまり事実としては存在しないんですよね。
また意味も曖昧ですが、なんとなく頑張っている人が馬鹿にされてるようで悲しいくらいの認識で捉えるなら浅いです。
しかしその言葉に振り回される人が多くいるので今回は『意識』について解説していきます。その結果正しく意識することを覚えて自分の世界から生きていきましょう!
高い低いは他者比較の始まり
冒頭で述べた通り、意識はあるかないかの話なので高い低いと表現すること自体ナンセンスです。数学で例えるとそもそも単位が間違っているみたいな感じです。
そして『上も下』も『高い低い』も比較対象ありきの表現です。それは意識に置き換えても同じ話です。ではその時比較対象となるのは誰でしょうか?
そうです。自分以外の他者です。
ではなぜこの表現をすすめないのか?について解説します。
他者を煽ったり、見下す表現に使用
SNSでビジネス系インフルエンサーが意識高い系という言葉を使用したり、自分の実績を誇大に宣伝したりすることで他者を煽り、一部の人に同意を求めるケースは多々あります。
あれを意図的にやっているとしたら完全に炎上商法です。しかし、別に炎上商法自体に良し悪しはないのでそれはそれで良しと考えています。
問題はそれを無意識にやっている場合です。知らず知らずの内に敵を作ってしまう可能性があります。それでドリームキラーとかアンチとか言われても完全に自分で蒔いた種じゃん!ってなるわけです。
インフルエンサーのほとんどは理解した上で発言してると思います。しかし、本当に全ての人にどう思われようがどうでもいいって人はいないです。それなら周囲に自分の主張を述べる必要性がないからです。
少し脱線しました。ともかくみんな仲良くしろとまでは言いませんが不必要に敵を作るような発言をする必要性もないですよね?って事です。
そんなところで周囲に同意を求めてもそれこそ傷の舐めあいで終わります。
自己の主張と同調同意
今後副業が当たり前になり、個人の力が生きてくる時代が到来するとサラリーマンという生き方は搾取されている対象として比較される可能性が高いです。なので補足しておきます。
サラリーマンであることは別に悪いことではないですし、馬鹿にされるようなことでもないです。もちろん経営者や投資家が偉いわけでもありません。
私の過去の記事でも会社と家を行き来するだけのサラリーマンだと知りえない世界があるのは紹介しましたが、別に悪いことではないんです。
その人には必要でなかっただけの話です。他者の意見や世界を尊重できる度量が全ての人にあれば世界の争いは減ると思います。
生き方に関して私自身は他者がどうこうではなく、自分の心に正直に生きていけるならそれで良いというスタンスです。誰にだって主張はありますが、それに対して他者の同意を求める必要性はありません。
同調圧力による意見のゴリ押しは日本人の悪しき風習です。
最後に個人的に嘘ついてるんじゃないかな?って事例を紹介!
①家族(子供)がいるからやりたい事ができないと言っている人
→そのようにして行動を抑圧された大人の姿は子供の教育にも悪影響を与えますので誰の為にもなりません。
②コロナや自粛を言い訳にして何も行動しない人
→何年自粛するつもりなんでしょう?人生は一度しかないし一瞬です。
何事も自分主体で考える
ここまでは他者比較について解説してきました。それでは次は自分を主体にして考えていきましょう。
自分主体で考えるとは主語を『私は』から始める事を意識することです。
これはコミュニケーションをとる時にも非常に有効ですのでぜひ試してほしいです。
なぜならあなたの目の前の人は世間がどうとか、会社がどうとかという内容には微塵も興味がないからです。あなたしか持っていない体験にこそ価値があると考えています。
では自分にフォーカスを当てたまま意識の本題に入っていきます。
正しく意識する
意識するしないを観察することで物事に取り組むときに非常に有効に働きます。
それこそスポーツを練習する時はポイントを意識しまくって、無意識でやれるレベルまで持っていきます。それで本番の試合では無我夢中とか無敵じゃないですか?
スポーツ漫画でよく出てくる無我の境地やゾーンとかそうですよね(笑)スポーツでなくても日常的な行動をしているとき(冷静な時)にこそ自分を意識することで、いざという時に自分の怒りの感情を意識できるようになります。
そうすることで良くない方向に進む自分に対してストップをかけることもできます。逆に好きなことに没頭している瞬間は無意識になれる、夢中になれるというのはその人の天才性だと解釈できます。
まさに無の中にいる感覚、夢中にして無中!
私の場合モルックをやっている瞬間はすべてを忘れて没頭します(笑) 皆さんにもそんな瞬間がきっと訪れますのでその瞬間が終わったときに意識してみてください。
かなり難しい解釈もあったと思いますが、意識することで自分にとって良いことをしているか悪いことをしているかも自覚することが可能です。
だからこそ正しく意識する必要があるんです。行動そのもの、結果、目に見える肩書きに固執し、その中身を意識しないとまるで成長できません。
言葉を意識する
言葉とは本当に不思議です。その人が普段意識していることが出てくると言っても過言ではないです。
そして何よりも表裏一体の側面を持ちます。
例えで言うと「大丈夫」→「大丈夫じゃない」「ちょっと」→「ちょっとじゃない」みたいな感じで本心とは真逆の可能性があります。
意識高い系という言葉も本当は他者に対して意識が向いているからこそ出てきますし、発言する側も反応する側もコンプレックスの裏返しである可能性が高いです。
漫画BLEACHで「あまり強い言葉を使うなよ、弱く見えるぞ」という有名なセリフがあります。これはそういった人間の本質を突いた言葉なのかなって思います。
本当に自信があるなら相手を無理に威圧してやらせたりする必要がないということですね。そんなこと言い出したらワンピースでもドンクリークが似たようなこと言ってましたよね(笑)
ともかく言葉の特性を知っておくことは重要です。そしてこの図星を突くことは言葉のナイフになり得るという事は特に知っておく必要があります。誰もが『確かにそうかもしれない、指摘してくれてありがとう!』みたいな感じにはならないです。
言葉のナイフを使って誰に対しても指摘していると逆鱗に触れたりして敵を作る可能性もありますので取り扱う際には十分に意識して使用することをお勧めします。
時には嫌われる勇気を持って話すことも重要ですが、人の見極めが必要なんですね。
まとめ
■意識に高い低いはない。在るのか無いのか、ただそれだけ!
■他者との比較ではなく自分主体で生きる
■言葉は意識からくるものだからこそ取扱注意
意識を持って過ごさないと人間の一生なんてすぐ終わるで!
二十歳を過ぎてから自分の誕生日を数えなくなったとか勿体ない。
日々が繰り返しの毎日に感じてきたら危険サインです。
何事も意識するしないで劇的に変わります。
せっかく意識の話をしたから次回はモルックで意識するポイントについて解説しよか。
またしてもモルックなのか⁈乞うご期待!
コメント